宇陀四名勝とは

古くは古事記にまでさかのぼって歴史に名を刻む宇陀。
時を超えて多くの人々がこの地を行き交い、独自の文化を受け継いできました。なかでも南北朝から戦国、江戸初期という時代の大きなうねりの舞台となったのが、宇陀松山城、芳野城、澤城という3つの城です。さらに、激動の社会を静かに見守り、人々の祈りを受け止め続けた室生寺。これら4つの史跡・寺院からなるのが、宇陀四名勝です。


宇陀松山城

南北朝から戦国時代にかけて伊勢を国司として支配した北畠氏から「和州宇陀三人衆」と称された秋山氏によって、南北朝時代に築城。当初は秋山城と呼ばれました。1586年(天正13年)に豊臣家大名の居城となり、近世城郭へ改修。大和郡山城、高取城と並ぶ大和支配の拠点になりました。1600年(慶長5年)、関ヶ原合戦の後に福島正則の弟である福島高原が入部し、「松山城」に改称。1615年(慶長20年)、福島氏が改易され、小堀遠州らによって破城されました。中世から近世にかけての城郭として重要であるとして、2006年、国史跡に指定されました(指定名称「宇陀松山城跡」)。また、2017年には公益財団法人日本城郭協会の「続日本100名城」に選ばれました。

所在地奈良県宇陀市大宇陀拾生
アクセス「道の駅宇陀路大宇陀」から徒歩約25分


芳野城跡

南北朝前後に成立。城主は「和州宇陀三人衆」の一角をなし、中央権力に従属しつつも半独立していた芳野氏。尾根を利用した全長約300mの城郭で、現在も尾根上には平坦面・土塁・堀切、尾根斜面には登城道などが良く残っています。豊臣氏の時代になって大和国が再編されたことにともない、廃城になりました。

所在地奈良県宇陀市菟田野下芳野
アクセス「松井橋」バス停より徒歩約15分(登城口まで)。登城口に駐車場あり


澤城跡

「和州宇陀三人衆」をなす澤氏によって、南北朝~戦国期に築城。松永久秀の大和支配にともない、永禄3年(1560年)に高山友照(飛騨守図書)が城主になりました。高山友照の嫡男でキリシタン大名として知られる高山右近も幼年期をこの城で過ごし、城内の教会で洗礼を受けました。当時の城の様子は、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが記した『日本史』にも登場します。城の規模は南北約250m。豊臣氏の大和統治の際に廃城になりました。

所在地奈良県宇陀市榛原澤
アクセス「比布」バス停より徒歩約30分(下城跡・馬場跡まで)


室生寺

奈良時代末期の宝亀(ほうき)年間(770年~781年)、東宮山部親王(とうぐうのやまべのしんのう・のちの桓武天皇)の病気平癒のため、室生の地において延命の祈祷したところ、龍神の力でみごとに回復したので、興福寺の僧・賢璟(けんけい)が朝廷の命でここに寺院を造ることになったといわれています。境内には国宝に指定された多数の堂塔や仏像が点在し、南北朝期の北畠親房や宇陀松山藩初代藩主であり織田信長の次男・織田信雄の供養塔もあります。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名があり、現在はシャクナゲの名所としても知られています。

所在地奈良県宇陀市室生78
アクセス近鉄大阪線「室生口大野駅」より「室生寺」行バス乗車。終点下車、徒歩5分

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